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     NO12 up road  2014.1.27.
     島尾敏雄の孫に出会う 『まほちゃんの家』 

 先日、地元図書館(松戸市立図書館○○分館)の棚隅(随筆・詩歌コーナー)で<しまおま>という背表紙が目に止まった。 、、、はてな? 
 動物の<しまうま>か?と思ったが、引き抜けばしまお まほ。であった。最後の一字が図書館記号のラベルで隠されていただけのこと。


 
まほちゃんの家
  
 真白い表紙に子供がクレヨンで描いたような丸顔が笑っていて、
パラパラっとめくると活字の組み方が緩く簡単に読めそうなので借りて帰った。 

  既に片手に持っていた一冊は『どこから行っても遠い町』小川洋子だが、2冊そのまま借り出した。
  著者は島尾敏雄の長男・伸三のひとり娘だった。

 あの家族のその後はどうしているのだろう?

 ぼんやりと思うときがあったものの、ぼくの島尾敏雄セピア色のむこうに遠ざかってしまっていた。


WAVE出版 2007年刊  \1400+税

 

続・日の移ろい

 
島尾敏雄の本は最初は『死の棘』からで、学生時代のある後輩が、飲むとしきりにその本を褒めるので、気になりながら数年も聞き流したままにしてしまってから、ふと思い立ってとうとう読んだ。その彼は家庭環境が複雑だったようで、「家族」というものに深く問いつめたい何かがあったようだった。
  だいたい、それよりずっと以前の、その彼が学生時代、ボクが社会人になって間もなくの頃のあるとき、ある場所で、ひどい悪酔いをして場をわきまえずに騒いだので、彼の頬面を一発たたいて正気に戻らせたことがあった。騒いで口にする中身も思春期の少年のような幼稚さで、彼はマザコンで乳離れができていなかった。しかし、そうなるにはそれなりの環境があり、平凡に育った他人には思い至らないことで深く懊悩していたのだった。 
  今ではたいへん済まないことをしてしまったと思っているが、その後も数年はみんなと一緒におもしろく飲んだ。
でも、彼とはいつの間にか音信が途絶えて30年以上になる。とんでもなく遠い昔話だ。

硝子障子のシルエット


  『死の棘』から、日記体の『日を繋けて』『日の移ろい(正・続)』へと島尾敏雄の人生を読み継ぐと、2人の子供の輪郭が余り明瞭では無い描き方で出されている。子供のことでは、うまく書けない部分があったのではなかろうか。書かない、という消極的ウソのつきかたもあるのだろう。親子の確執もいろいろあっただろう。この『まほちゃんの家』では父・伸三の口や態度から見えて来る祖父・敏雄への評価が隠されていない。

  『まほちゃんの家』を読むと、長男から見る島尾敏雄像以外にも、その長男そのものが原寸大の「父」として書かれ、敏雄はまほ本人の目に映る「祖父」でもあり、敏雄の娘は愛すべき叔母の「マヤさん」、そして自分に愛情を惜しみなく注ぐ二人の祖母、誰もが鮮やかな陰影をもって描かれる。

  今時の若い娘の口語調文体をほどよく使いながら、サラサラとしたスケッチとして身近な者たちを描き分けているところがなかなかの手際である。

  彼女の高校時代の教室での孤独感と、ごく少数の友との貴重な友情は、現代の若者の繊細さと生きにくさを伝えている。(彼女は自分の実体験を元に描いた『高校生ゴリコ』1997年刊というマンガでデビューしたそうだがボクは中身を知らない)

  「島尾敏雄」で読み残していた部分が、利発な孫のおかげでやっと読めたような 、、、

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