up road 2014.10.10
付録2 四阿山 再・再訪 2014.10.07.(火) 快晴 マツムシソウ
このたび、ブログ友の三毛ジャガーさんのエスコートを得て、三たびの四阿山訪問が叶った。
いつもの山行ではボクが車の運転役なのだが、今回は彼の高級ハイブリッドワゴンを出してもらい、往復の運転も全部お任せ。しかも重たいストーブ(調理の火)やその水なども担いでもらった。
今西錦司の晩年登山もこんな感じだったかも知れない。
あるいは水戸のご老公が、お供の片方だけ連れて旅に出た気配、の感もある。こちらが間もなく70歳とはいえ、なんか申し訳ないなあ、、、
まだ真っ暗な4時半、約束通りの時刻に車が玄関先に到着。
東京外環ーー関越道ーー長野自動車道と順調に走り、東部湯の丸SAで小休止(7:00-7:25)した。そこから東側に、光線の加減でシルエットで見えている高い山を錯覚し「奥の方が四阿山みたいだ」などと知ったかぶり。このあと本線に出て上田ICを出るまでに、アッサリ発言訂正となった。おまえは寝ぼけたままかいな、朝日が輝き、台風一過の快晴であるというのに。
到着してまず驚いたのは鳥居峠(8:00)、10年前にはあったドライブインが消滅し、更地になっていた。空き地はロープで囲われ駐車を拒んでいる。林道に乗り入れて良いものかどうか、何も案内がない。(峠が県境なので2県で譲り合いの結果、外来者に必要な情報を何も提供できないのかな?)
前回、唐松林の中の道を、背丈に届くほどの笹かぶりが余りにひどく、苦労して抜けたことを覚えているから、森の道へは入らない。そもそも森の道は今もあるのか? その道の入り口さえ不明なのであった。
初めて登った1992年(22年も経ってしまったんだ!)の初冬、Uさんと霜柱を蹴散らしながら勇んで進んだこの唐松の森の中は、今はどんな様子なのかな?
右側の明るく陽の射し込む林道はと見ると、轍の様子から通行車両が日常的にある様子なので、思い切って乗り入れることにした。轍の真ん中がかなり高いから車の腹が刷りそうだ。彼は「普通の乗用車より少し高めにできていますから大丈夫でしょう、4駆車ほどではありませんが」といいながら、ソロリソロリ車を進めた。
安全運転で1kmばかり進むと林道の分岐点に来た。右が四阿山から逸れるのは分かっているから進入しないが、右手の林道に入り込んでも良いものかどうかが分からない。道路事情を説明する案内板は何もない。もしも道が荒れていたり、Uターンできなかったりしたらどうするのか?
判断が付きかねたので、笹を刈って道幅が開いていた路傍に車を駐めた。寄せるとき、車体の裾や腹をこする笹の茎のパキパキする音が聞こえて肝を冷やす。三毛ジャガーさんは「このくらいはゼンゼン平気です」と言うが、擦り傷ぐらいは付いてしまいそうな、、、ハイブリッドの高級車だぞ。

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(8:10〜入山の身支度)
車から今日の山行に必要なものだけ入れたザックと軽登山靴を降ろし、身支度する。
彼も一眼レフを持ってきていたが、それは車に残し、防水型の小型デジカメ携行で行くらしい。パチリと1枚撮るたびに日時のデータが入るので、スタンプ代わりにそれを使うつもりのようだ。他にもアマチュア無線機やGPS機(どちらもケータイ電話ほどの大きさ)も持ってきている。メカ的世界に強い人なのだと改めて思う。ガラ系老人はそういう最新アウトドア・アイテムへのリテラシーに欠けるもので、それらの効用がいかほどのものなのか、見せて貰ったがうまく想像ができなかった。
林道を歩き出す(8:25)と、唐松の梢のさきにヤマブドウの葉が赤くなって垂れ下がっていた。(上左)
唐松は昨日の台風で黄葉した葉が皆散ってしまっていた。少ないながらも残ったまだあおい葉の作用で、レースのカーテン越しに射し込むような穏やかな光線が、長い影を曳きつつ森に射し込んでいる。(上右)
樹林の隙間から空を仰ぐと、穏やかな今日の一日を約束する雲が浮かぶ。(下左)
かつての林の中の道を教える標柱が残り、「鳥居峠」と書いてある。踏み跡は既に消えている(下右)
 


標柱の文字は
「鳥居峠」

林道の終点
奥のピークは独標
写真のような看板のある林道の終点に来た。ちびっ子野球ができるぐらい広い駐車スペースもある。ただしこの時は一台の車もなかった。鳥居峠に案内さえ出ていれば、ここまで車を乗り入れても何ら問題は無かった。車を置いてから1km以上歩いたボクら。鳥居峠(国道)からは、都合2km余り北進したことになる。
今回も前回同様左に進んだ。時計回りに歩いて、夕方のそれもなるべく明るい時刻に花童子けとうじを経由して、右手の道からここに戻ることにしよう。
工事現場でよく見かける移動式トイレが1台設置されていたが、自分のお腹はまだその習慣的時刻を迎えていなかったので使わず。(8:40通過)
最初の見学ポイント「的岩」 (9:35到着)
ここで弓の練習をさせた武将が源頼朝、という言い伝えが残る。
彼には武田信玄などとウソを教えた。今朝はなぜかウソを連発!

後方は浅間山
(広角レンズで遠くに見えるが、実際は目の前にある)
当初の計画は草津での一泊を入れて、野反湖の奥の白石山(新潟・長野・群馬3県の境)と草津の本白根山に登る計画だったが、一日目の6日に大型台風18号が直撃し、やむなく山行中止ということにした。
ところがこの18号の韋駄天ぶりは呆れるほどで、その日深夜にはミッドウエー海域辺りまで駆け抜ける気配となった。早くも昼頃には日が射してきたので三毛ジャガーさん(写真の彼)のおうちに電話を掛け直し。
白石山登山には、行きか帰りに地元で一泊しないと無理だが、彼の仕事の休みは7日まで。8日の出社への支障のことは?
「もしも7日の帰りが遅くなっても良いのでしたら、日帰りでどこかに行きませんか?」と切り出した。
前からの「車はお任せ、送迎あり」という虫のいい電話によって、早朝発の日帰り登山が実現した。
これでボクは今秋季2度も山に行けることになった。目的地=四阿山はボクの提案。人の気配が多くなく、かつ岩場がない山なのだ。左肩が50肩で腕力が利かないので岩場のある山を敬遠し、足だけで登れる山にしか行かれない。ここ数年トラブル多発、ほんとうに情けない体なのだ。ただし薬石効あり、最近不整脈が出てこないので、頻しき
りと山に登りたくなる。
独標という、的岩ルートと花童子ルートの両尾根の合流地点まで来た。荷を下ろすか下ろさないかのうちに、西の彼方の雲海の上に小さな黒い影。最初は南岳〜槍ヶ岳しか出ていなかったが、ミカンを剝いて食べているうちに穂高も見えだした。両方を繋ぐ見えていない部分が大キレットである。三毛ジャガーさんは今夏、雨中の単独行で槍ヶ岳に登ってきたばかりなので「感無量」の面持ち。登ってきたばかりの経験者ならば、今見るこの山の印象も大分違うはずなのだ。(10:40〜10:55)

休憩中にやや年配の男性がひとり、少し立ち止まっただけで我々を追い越していった。
入山してから最初にここで人と出会ったのだった。 |