晩夏の西穂高岳

西穂山荘売店・自炊棟 

西穂山荘前

 播隆上人顕彰碑

        日 程 

 9月19日 早朝自宅出発 HWバス平湯経由

   新穂高ロープウエイで入山、西穂山荘泊

 20日 西穂高岳に登山(午前中に往復)

   山荘前から上高地に下山(村営H泊)

 21日 明神~徳本峠を散策(午前)

   午後、ハイウエーバス直通で帰宅 

 

 はじめて目指す西穂高岳

9月19日(月) 新宿から高速バスで平湯→新穂高温泉→(ケーブル)→西穂高山荘(山荘に泊る)

奥穂高・北穂高はずいぶん昔に登った。そのときは天候に恵まれて、 北アルプスの雰囲気が堪能できた。

なつかしいので、また登ってみよう、でも同じ登るなら別のルートを、と思いたった。

新穂高ロープウエー山上駅で降りて少し進むと左手(穂高岳を背)に播隆上人顕彰碑があった。昔は見た覚えがないのでよく見ると石像と石積みが新しく、最近設置したものらしかった。

播隆上人の人物伝としては、「槍ヶ岳開山」新田次郎が知られるが、彼はこの真向かいの笠ヶ岳をまず開山し、その山頂から、当時は未踏峰と思われていた槍ヶ岳を望んだのであった。播隆上人一行がここで、そして槍ヶ岳でも見たブロッケン現象を阿弥陀来臨と思い騒いだようだ、と新田は書いている。

昨日から天気予報が勝手にベクトルを変えて、「晴れ」→「曇り・雨」。実際、着いてみると、標高2000mあたりから雲の中、ナメクジ好みの高温多湿で汗びっしょり。

西穂のテント場 

 山荘の前(東)側がテント場。この日は3張りだけであった。山荘も月曜日のせいか、食堂が交代なしで済む程度、さほどの混み方ではなかったが、見知らぬ単独行の者同士6人の相部屋。こんなにテント場がガラガラなら、ボクもたいした負担でないテントを持ってくるべきだったと悔やまれた。テントをかつぐ登山者の減りようには今昔の感あり。

夜、山荘で写真家Aさんによる写真教室あり。参加するも、未明の起床とほろ酔いが災いし講義の半分をうたた寝。  「銀塩フィルムとデジタルの長短」など、聞くべきところは何とか聞いたつもりではあるが、、、。

 

五里霧中の西穂高岳

9月20日(火)  真夜中は明月(中秋のいざよい=月齢16日)で、煌々と視界良好の時間もあった。

ところが やっと朝が来て、喜びいさんで靴を履いたら雨がポツポツ。 歩くうちに雨雲が通過してくれるということも経験上「なくはない」ので、余り落胆せずに少しゆっくりペースで登る。               独標への道で

登りはじめだけは多少周囲の様子が覗えたが、、、とうとう、、、
このあたりから先の
独標(どっぴょう、ピラミッドピーク、西穂山頂すべてガスの中だった。 

 

 西穂高岳頂上 2909m

                                                                                        

下山中にだんだんガスが薄らいできて近景が観察できるようになってきた。

   「松本深志高校遭難慰霊碑」 (下)
 
 

事故は、西穂高岳への集団登山中に天候が急変し、急遽下山中に独標付近で起こった。落雷による感電および岩場からの転落事故であった。死亡(11人、全員男子生徒)・負傷(13人、教員2名・会社員一名含む)。1967.8.01.13:30ごろ発生碑は小さく遠慮がちでA4サイズ程のものに見えたが、国立公園内なので景観に支障あることはできないのであろう。 

西穂 山荘の屋根が見えてくると、右に笠ヶ岳左に霞沢岳の8合目以下が視界に入るようになった。

 山荘前のベンチでひとり失意の昼食、、、でもなかったかな。奥穂高岳からの熟達者コースを超スピードで越えてきた一人の青年と、山談義をおかずにして雑炊を食べたのが楽しかった。

 午後は、ここから上高地に下山した。年のセイかこの下山が予期に反して長く感じられた。昔、ココを下山中、上高地から小学生林間教室の児童がひきもきらずに登ってきたのを思い出した。「コンニチワ!」とどの子も叫ぶので挨拶を交わすのが一仕事であった。教師は臨機応変に。「山で会ったら誰とでも挨拶を交わします。でも団体登山の時は先頭の先生が挨拶しておきますから」ぐらいで、、、。

単調なシラビソの森を下る。山の花の季節は終わっていた。トリカブト、オオヒョウタンボクなどはこのコースで撮影したもの。

上高地へ下りると「安曇村村営ロッジ」が、在るはずの場所にない。
行き過ぎて大分行ってしまってから電話をかけてやっと分かった。

河童橋周辺の人混みを嫌いすっかり遠ざかって、かれこれ15年になる。大昔の記憶を当てにしていた私が悪い。知らないうちに高級ホテル風にリニューアルしていて、木造のうらぶれた(僕好みの)「村営」宿舎の面影など、どこにもない。 看板まで「上高地アルペンホテル」に掛け替えていた。出発前日に予約を入れてあったのでやむなくとまった。 従業員のみなさんには好感がもてた。

 

 三日目は快晴の秋空 

                                                                                                                           

9月21日(水) 「アルペンホテル」の窓いっぱいに、朝日を受けた焼岳が映る。

前夜の天気予報では、雨か曇りのはず、ナンダコリャ。

バスの時間が来るまで、午前中を使って徳本峠(とくごうとうげ)まで行ってみるかな。

せっせと歩けば間に合ったとは思うが、あちこちで景色に見とれ、そうこうしているうちに、明神館から峠までの山道の半分を超えたあたりで戻らなくてはならなくなった。

シラネワラビ

  踵を返す前に、沢の水を沸かして一人でラーメンをつくり食べた。今日はいい話し相手が通らなかった。私を追い越し2人、すれ違ったのは0人。上高地にもこんなに静かな道があるのだ。

ミソガワソウ

マムシグサ

 

徳本峠道よりの眺め

 

 

 

  

 

昼から雲が出始め、帰路のバスが山梨県まできて雨になった。 言葉通りの秋の空

 

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その22009年晩夏の西穂高岳

    日 程

 2009年9月06日(日)入山、西穂山荘泊。

 翌7日(月)午前、西穂高岳往復、

 山荘前で昼食ののち下山。

 平湯からハイウエーバスに乗りその日の夜帰宅。 

                                                      西穂高山稜の夜明け

 

   

 

 

 今度は上天気で入山 正面に霞沢岳

 

 9月6日  新穂高ロープウエイのゴンドラが動き出すと笠ヶ岳が大迫力で迫ってきて乗客から歓声があがった。さい先良いスタートだった。

 

 

 

山荘前のテント場にはこの後も増えて一杯になった。霞沢岳が目の前にある。(17:21)

 

 

 

山荘の背側、加賀白山の周辺に最後の夕焼けが残った。明日の晴天を約束してくれている。(18:25)

 

 

 

 

 

山はヤッパリ天気がいちばん

9月10日 東に明るさが増してきた。

八ヶ岳

 

日の出まではあと少しだ。

彼方にはシルエットになって、

八ヶ岳がなが~く連なっている。(5:25)

 落ち着いた心で飽きず眺めていると、

改めて山に遊んだ歳月の長さをを感じる。

いよいよどの山も、山頂に朝日が当たりだした。

西には笠ヶ岳(5:52), 下左

南には焼岳と乗鞍岳(5:48) 。下右

乗鞍岳のさらに左に木曽御岳(写真割愛) 

笠ヶ岳

乗鞍岳と焼岳

 

 

 

 

 

 

 

 

西穂山荘(5:33)

 西穂山稜(独標より6:38)

 

西穂山頂(左手のピーク)までもう少し(7:04)

奥に奥穂高(平らなピーク が通称ジャンダルム)

  

 

 

 

 

 眺望にしばしば足を止めつつ順調に西穂頂上に到着(8:20) 全くの快晴だった。秋の空はよく澄んで深かった。


ここから見る山々全てが懐かしい。踏み残し無くよくも歩いたものだ。以下山頂からの望遠である。

 黒部五郎岳(左)と槍ヶ岳(8:30)

 

 

 

 

 

 

 

 

遠くの山にも目が向かう、ずいぶん遠くの山が気になる。

左右に赤禿げた山、右が野口五郎岳、左が分かりにくい。奥穂高岳(3190m)からならすぐに分かるに違いない。ここは280mも低い。

地図に定規を当てると水晶岳(2978m)らしい。手前の鷲羽岳(やや左下2924m)と直列。

真ん中には立山(中央・大汝山3015m)。劔岳は後方に直列するが、奥穂高岳から見れば右に顔を出す。

ここから立山まで約33kmある。その左に並ぶピークは竜王岳(2872m)。

よく澄んだ秋の空だった。

 

下山開始8:50。しばしば小休止。景色に見とれつつ下り山荘到着11:30。

前回同様、山荘前のテラスで昼食。人出多くテラスは混雑。

昼からは夏雲が湧きだして笠ヶ岳稜線を隠しはじめた12:32→13:02   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平湯でバスを待つ間、バスターミナル屋上にある展望温泉で汗を流す。

ハイウエーバス(濃飛バス16:30)はがら空き。ビールを飲みながら帰宅した。

end

参考図書 「百名山からの眺望・CG版」石垣博史・石垣修司著 東京新聞出版局 1999発行 山名同定に重宝である。

備考 本文中、集団登山中の落雷事故のことを書き入れたが、、このコースは転落事故にも注意が必要。(例)10日午前、西穂高岳(2909メートル)で、県警ヘリが頂上東側の登山道から約200メートル下の沢で男性を発見した。東京足立区の男性(35)で既に死亡していた。滑落したと見られる。9日午前7時40分ごろ、別の登山客が落石音と声を聞き110番通報。県警が捜索していた。〔毎日新聞朝刊 ’11.9.11抜粋〕

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