「M9」大地震は想定外のことなのか? 

   ←目次に戻ります  記述終了2012/02/28

 時事通信 2011.4.28(木=本日)16:41配信
東京電力の清水正孝社長は4月28日、福島第1原発事故の被害補償に関し、巨大災害の場合は電力会社の責任を免除する原子力損害賠償法の規定について「私どもとして、そういう理解があり得ると考えている」と述べ、東日本大震災による大津波が免責理由に該当する可能性があるとの認識を表明した。都内の本社で記者団に語った。
 また、役員報酬の50%カットを決めた東電の姿勢を海江田万里経済産業相が生ぬるいと批判したことに対し、「大変厳しい(リストラ策)と考えている」と反論。ただ、今後の対応は「未定」として、さらなる減額などに含みを持たせた。」(配信文全文)


 事故現場放棄示唆、隠蔽、事故事象の過小申告。「想定外事故」なる認識を今も堅持、さいごには大半の社会的損失を国(=税金)で拭ってもらうつもりなのだ。

 

 

 

 

 

 

 この記事を読み、数日前に自分が知人に発信したメールを再掲してみたくなった。
以下、文章はそのコピー&ペースト、写真は今回貼り付け) 
                                                                                                                                                                                                 

S様 「毎日新聞」の記事2件、読みました。感謝。
明日4/24のデモの件、別の用事があり、行けません。
「福島原発人災記・安全神話をかたった人々」川村湊著(現代書館、最近刊・上右写真)
僕は今から読もうとしているところ。
筆者、僕同様に文系の素人発言なれど、「私はにわか勉強を思いついた」と帯文中。
僕もそれは同じで、科学雑誌「Newton」のことが記憶にあったので書架を探るとすぐに出てきたのが、特集・「M9」大地震」2007年10月号・上左写真)でした。

 「Newton」の特集記事の狙いは三陸沖でなく、近年繰返し警告のある「東海・東南海・南海」。

記事中、再度よく見ると、カムチャツカ地震(同半島南端付近沖、今回地震と同じプレート境界)が1952年にあってM9.0なのでした。
もちろんスマトラ島沖地震(2004,M9.2)のことも。
また、2007年7月の中越沖地震はM6.8、こんな程度でも原発(柏崎刈羽)は直下型に弱く、壊れました

要するに@ プレート境界でM9クラスの地震が発生するのはけっして珍しくないこと。
   A @の場合の多くが海洋底で起こり津波を伴うこと。
 B 装置としての原発は地震の衝撃に弱いこと。
   直下型ではM7以下の地震動であっても設計時想定の値を超えることがある。

従って、これらを「想定外」で済ませてきた当事者の東電、原子力政策に関わってきた政官の関係組織、それとお抱え学者は、川村湊が言うとおり「安全神話を騙った人々」ということになるでしょう。

ところで次なる不安巨大地震の連動性で見るなら、(日本列島隣接の)環太平洋北辺で見ると、
(上記)カムチャ ツカ地震1952,M9.0 → アリューシャン地震1957,M9.1 → アラスカ地震(アリューシャン地震の震源に隣接)1964,M9.2。
この3つは兄弟! 更に近年のスマトラ島沖地震でも類似の連動性が見られたが
これは学ぶに値する事実であるだろう。
なお3つの巨大地震の間に、カムチャ ツカ地震と同じ太平洋プレートの対極でチリ地震1960,M9.が発生している

以上のごとく、いま改めて勉強中です。貴殿からもまた良い情報をお願いします。
明日は天気回復。デモの成功?! を祈ります。ではまた。

(メールのコピー&ペーストは以上)

 

● 補足 ●  十勝沖、根室沖でも50年程度の間隔でM8前後の地震が交互に発生しているのは知られた事実であるが、二つの同時発生も数回〜10回に一回発生していることが確認されている。
(以下、Newton同号記事の引用) 過去2500年間に少なくとも5回、、、。(中略)最近のものは17世紀に発生したと考えられ、M8.6をこえると推定、M9の超巨大地震に迫る大きさだ。

僕程度の門外漢にでもわかるこの程度の事実を、おそらくは十分に知りながら、東京電力の清水正孝社長は、
「もっと電気を作れといってきたのは政府と、それを選んできた国民。当社はそういう社会的要請に応え、国力の下支えを懸命にしてきたのだ」
と言わんばかりである。
 

「福島原発人災記・安全神話を騙った人々」は地元の小さな書店レジ横に積んであった原発事故関係の数種類のうちの一冊で、記述に無駄が無く、かつ平易であったので、買った翌日、3時間ほどで読み終えた。
川村が証拠として押さえたパソコンのコピペが実に雄弁である。我が国の原子力政策を提唱してきた人々、原子力の安全を学問的に保証(?)してきた学者グループ、
そういう人々の雄弁パソコンの奥に今も息づいている。この雄弁は人類の歴史的資産なのだから、消去するなどの姑息なことは絶対にしないでもらいたい、と僕は思った。

2011/04/29 以上UP 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2011/04/30 以降追記

「福島原発人災記・安全神話を騙った人々」川村湊著(現代書館を買ってみた理由は、左の写真の本(作品社発行、03.11.28)を、出て間もない2004年の冬に読んで、著者の名前に記憶があったため。

「いいかげんなものを書くような人物ではない」と、以来感じていたので「単なるキワモノではないだろう。読んでみよう」と思ったのであるが、読み終えてから少しして斎藤美奈子が朝日新聞4月27日朝刊「文芸時評」で、この本を取り上げたこの日彼女の全文が震災、原発がらみで3冊あったうちの一冊であった。文中の一部(青字部分)再掲しておく。

川村湊『福島原発人災記』は自らを(米英ソ中仏の核実験による放射能雨)世代と規定する文芸評論家による、2011年3月11日から25日までの記録である。(私は今まで「原発」ということを、ほとんど考えてみなかった)と告白する著者は、しかし今度の事故に接して(こんな震災をもたらした者たち)への「怒り」にふるえ(一介の物書きとしての私にできることは、この原発震災(略)の現状を書く″ことしかないのではないか)と考えるのだ。
 書庫の本棚は崩れ、外にも出られず、集められるのは新聞とインターネットの情報だけ。そんな状況でいきなり筆をとるのは批評家としては乱暴なふるまいだろう。実際、原発を推進してきた個人や機関(いわゆる原子力村)の名簿から過去の論文まで、ここに提示された資料の多くはおよそ「文学的」ではない。
 しかし、
このスピードと非文学性を私は支持する今月の文芸誌にも震災をめぐる作家の言葉が多少は載ったが、高橋源一郎が連載小説の丸々一回分を費やしてこの震災と先の戦争との薄気味悪いぼどの類似を語ったのが目についたくらいで(「日本文学盛衰史戦後文学篇」P・群像)、多くはモゴモゴとした「文学的」な内省を語るのみ。文学の人は文学だけを追求してりゃいいんだよ、という態度は「文学村」の内部の言語である点において「原子力村」と同質ではないか?
 

彼女が拾った言葉の内、私は今まで「原発」ということを、ほとんど考えてみなかった、と告白する著者は、、、の箇所は確かに僕も記憶した箇所だが、これはレトリックだろう。なぜなら、パソコンの「コピペ」も、一定の予備知識なしには、拾い所が捜せないはずだからである。もともとかなりの関心、日本の原発政策へのそれなりの懐疑を有してきて、今回の事故は「言わんこっちゃないんだ!」という感情で受け止めた、これは僕のことでもある。 原発に群がっている人間とそれを支持する世論の位相を、大局において、いかがわしく見てきたのであろうし、それが的中した。


次にあげる一冊は、より踏み込んで見てきた人物の著書の復刻本である。

発行 2011.4.30 朝日新聞出版   * 抜粋部分に紺色の着色文字を使用した。

  序 つくられた「原発安全神話」 中から2点、

1点目は本書が復刻本である由来。

本書は、いまを遡る三十年ほど前、原発一辺倒時代への幕開けの時代、『原発への警鐘』と題してまとめた分厚な単行本と同文庫の一部を復刻したものである。『週刊現代』連載を『日本エネルギー戦争の現場』(一九八四年刊)として、また、それに続く文庫版として『原発への警鐘』(一九八六年。いずれも講談社刊)をとりまとめた。本書では、その一部の収録にとどまったが、福島原発の重大事故に遭遇しているいま、いかにして「原発安全神話」は築かれてきたのか。「原発一極集中」というエネルギー政策はどのような政治・経済構造のもとで構築されたものか。放射線をめぐる議論はどう展開されてきたのか    政治主導で進められた過去の歴史の一ページをひとりでも多くの読者に伝えたい、そのような強い思いに衝き動かされての緊急出版となった。次の時代の正しい「エネルギー選択」 への道案内人にとり、たとえ、か細くとも一本の杖となりたい……筆者のひたすらな祈りである。

2点目はマスコミへの威嚇行為、例として電気事業連合会(電事連)には言論封殺のマニュアルがあること。
 マスコミヘの 「抗議」書
 (中略)
 ここに電気事業連合会、略して電事連の行ってきた「報道統制」を思わせるおびただしい資料がある。まず、さまざまな報道機関、メディアに送りつづけた抗議書(「関連報道に関する当会の見解」との共通見出し) から一覧する。一例のみ挙げる。
 たとえば「週刊朝日」の「知ってますか? 試運転中 六ヶ所村再処理工場の切なさ」(二〇〇六年六月三十日号)と遺されたわずか四ページの記事に対して計七項目に及ぶ詳細な「抗議」書が届いている。次の通りだ。
「題記記事中には、下記のとおり不的確な記述や事実誤認の記述などが見られます。
 つきましては、正確な情報に基づき、正しいご理解を賜りたいと存じます」
 この一見、丁重にみえる記述につづいて、次段からは「記」と題した詳細な指摘がえんえんと続く(以下、原文のまま)。
[1] 5月17日に再処理工場で発生した 「精製建屋内における試薬の漏えい」 について
 「記事内容」(p382段・1行目〜)
 「配管の破損による溶液漏れは、いつ起きてもおかしくないと思います。(中略)溶液漏れや、トラブルをくまなくチェックするのは不可能ではないかと思うのです」(筆者注‥現場関係者の談話。この「週刊朝日」の記事に対する抗議が次のように 「事実関係」と慈して述べられる)。
 「事実関係」
 ▼再処理工場は、原子力発電所で使用された使用済燃料を化学処理によって再処理することから、化学プラントに似た構造となっており、総延長で千数百キロにわたる様々な配管が存在します。
 ▼このうち、安全上、重要なものについては、セルと呼ばれる放射性物質を閉じこめる機能を有した部屋に収納しており、万が一、配管から漏えいした場合でも受け皿等により安全に回収できる構造としています。また、配管からの漏えいを検知する機器をとりつけているため、万が一の場合でも、すみやかに、対策が講じられる仕組みとしています。
 ▼一方、安全上特に厳重な管理を要しない配管については、日常の巡視点検等による保守管理を実施しでいます (同点検作業に時間的な制約はありません)。もし、これらに不具合が発見されれば、すみやかに部品を交換するなどの対応を行っています。
 ▼こうした事実を踏まえずに、「内部は放射濃度が高くて、作業員が中に入っていられる時間も制限されている。溶液漏れや、トラブルをくまなくチェックするのは不可能ではないかと思う」(P382段・8行目〜)とする記述は、不的確と言わざるを得ません。
[2]放射線による健康への影響について(内容略)
[3]放射線業務従事者の健康影響について(内容略)

いずれも同じ形式をとっで反論の記述がなされる。抗議文を書いた人物の名はすべて伏せられ、組織の中に身を隠したままの匿名で通す。だが、その背後に控えるものの正体は明らかだ。
「週刊朝日」だけではない。週刊誌では「サンデー毎日」「エコノミスト」……およそありとあらゆるマスコミが対象となっている。朝日新聞、共同通信、時事通信、毎日新聞、東京新聞、東奥日報、佐賀新聞、西日本新聞、各紙社説。さらにNHK教育TV、TBS、日本TV……。
 記事に対する「反論」を「事実関係」と自称する。当方の主張が 「事実」 であり、そちらはデマか誤認だと断じる。あらゆるメディアへの巨大スポンサーとしで君臨するものの発する「抗議」の「ブラフ (脅し)効果」 は計り知れないものがあるだろう。
 だが、ここに示した報道に対する執拗なまでの警告だけではない。「安全神話」をつくり上げる仕組みは学校の教育現場での教師、児童、生徒、学生へのスリ込み、「学習指導案」から「ワークシート」の作成、署名文化人の動員、さらに映像を駆使しての特別授業まで広範囲に及ぶ。彼らが「事実」と呼んで社会に押しっけた記述の信憑性こそが、いま問われているのではないか。

 教育現場の 「原発教育」(内容略)(の文章は以下省略)

上記「あらゆるメディアへの巨大スポンサーとしで君臨するものの発する「抗議」の「ブラフ (脅し)効果」 は計り知れないものがあるだろう」の部分では、全く同様の事実が池内了(物理学者)によっても自分の苦く不快な体験として語られている。(岩波書店『世界』2011.5月号 {専門家の社会的責任}中、彼はその匿名の人間(または組織)のことをはっきりこのように書いている。
私が「原子力マフィア」と勝手に呼んでいる集団がある」と指摘。続けて、数年前NHK教育テレビで「禁断の科学」という番組に出演したとき、、、(中略)、、、彼らはNHKに番組を中止せよとの圧力をかけてきた(私自身への直接の抗議はなかった)。
今後NHKが原子力問題に及び腰になるという効果を狙ってのことだと推測される。また池内了はTVに出演させるに問題ある学者、というレッテルを貼ったわけである。手強い学者には言いがかりがつけにくい(「私自身への直接の抗議はなかった」由)のと、彼らにとっての問題発生場所は学者の意見(学問)部分にはなくて、マスコミ(世論形成)部分への影響なのである。

 本文の注目箇所から一部紹介

第2章 東京電力と原発 福島第一原発はこうしてできた
        
「応力腐食割れ」発生

          検査の当日、事件突発

 企業の稔力をあげて建設に当たった東京電力・福島原子力発電所の一号炉が運転開始となってから、ようやく三年半の時間が経過していた。
 その日、保修課長の伊藤貞雄(現在、同発電所改良工事事務所長) は通産省からやって来た二人の検査官を先導し、原子炉建て屋の内部を目的の場所に向かっで急いでいた。
「あれだけチェックをくり返したんだ。絶対に大丈夫!」

 所内の保修担当者を総動員してくりひろげた検査実施の時から、伊藤の自信は一度も揺らいだことはなかった。建て屋内を走る大小のパイプの間を縫い、目的の地点に近づいた時、部下の一人が急ぎ足で寄ってきた。
「課長、ちょっと、ちょっと……」 目で合図して横に呼び「出ちゃったんですよ」と低い声で囁いた。
「そんなバカな!」 思わず伊藤は怒鳴り返した。
 念には念を入れるため、検査のたびに作業に当たる要員を入れ替えた。都合二回にわたるチェックを通じて、むろん異常現象は皆無だったのだ。それがいま、よりによって検査官の到着を待ち構えていたように、その目前で異常が発見されたというのである。
「どこだ? どこに出たんだ」
 伊藤は部下のあとを小走りに走り、検査官が黙ってその後についてきた。
 伊藤らと同じように、重い放射線防護服を身につけ、現場でチェックに当たっていた数名の若い技術者が、伊藤と検査官のために両脇に寄って場所をあけた。なかの一人が黙ってパイプの表面を指さした。
 問題のパイプの上に、ちぢれた赤毛の髪を寝かせたように、かすかな赤い一本の条痕がギザギザ
を描きながら走っていたのだ。まぎれもなく問題の「ひび割れ」 の発生を告げていた。
 わが国原子力発電所でのSCC (ストレス・コロージョン・クラッキング)、すなわち「粒界応力腐食割れ」発見のそれが第一号だったのである。四十九年十月のことだった。

 原子炉と、それをめぐる循環系機器をつないで走るパイプの上の特殊な個所に、微細なひび割れが出る、という異常現象は、それよりはやく、まず原発の本家・アメリカで発見、確認された(公式発表に先立つ数カ月前といわれる)。
 米原子力委員会の厳しい対策決定を報道したのはワシントン・スター紙である。AP電が情報を世界にバラまいた。
「原子力委員会は全米の発電用原子炉五十基のうち、二十一基に対しで六十日以内に閉鎖せよ、と命令を発した」という厳しいものだった。運転中の原子炉を停めて、冷却システムのパイプにひび割れが入っていないかどうか、緊急にチェックせよ、と命じている。
 原子力委員会が運転中の原子炉を停止してまで、厳重な検査を施すよう強硬措置をとったのは、コモンウェルズ・エジソン電力会社の「ドレスデン二号原子炉」 (イリノイ州=出力八十五万キロワット)で故障がおこり、冷却システムに異常が発見されたのがそもそもの発端だった。
 調べでみると、冷却水が走る厚さ六ミリのパイプにひびが入り、毎分五百二十リットルもの冷却
水が洩れ出していることがわかったというのだ。
 その冷却水が、放射能で汚染されていることはいうまでもない。幸い「冷却水は特殊装置によって受け止められ、外部には洩れていない」と原子力委員会はつけ加えた。
 だが、異常現象は 「ドレスデン二号原子炉」だけにとどまらなかったのだ。
 同じイリノイ州の 「クォッド・シティーズ二号炉」 (コモンウェルズ・エジソン電力会社)、さらにコネチカット州にある 「マイルストーン一号炉」 (ノースイースト原子力会社) でも、同じ個所に同じ種類のひび割れ現象が発見された。
 それら三基に共通していたのは、いずれもGE製のBWR (沸騰水型軽水炉) である、という点だった。
 米原子力委員会がただちに同タイプのBWRに対して緊急点検を命じたのは当然の措置というべきだろう。停止を命じられた二十一基の原子炉のうち二十基までがGE製で占められていた。
ニュースが報じられるよりはやく、情報はさまざまな経路をつたって、すでにわが国にも飛び込んでいたのだ。
 同種の原子炉に至急、検査の目を注いでみなければならなかった。

福島第一原発にかかわる事実に以上のようなことが記され、米国GE製の一号炉が全くの不良品だったことが明かされている。
裏返せば、日本の技術者がさまざまな欠陥をば、膨大な情熱を傾注し克服していくサクセスストーリーでもある。ただし3.11事故までの、、、であるわけだが。
初期には年間稼働率が2割にも達せず、すなわち一号炉は練習用マシンであったということになるが、不具合を直しても本質的に欠陥品であったことが今回証明されつつある。
津波でやられたのは破壊の「だめ押し」であり、最初に地震動で相当の破壊があったことが、小出しに「、、、だったのかもしれない、、、」という言い回しで出てきているが、「想定外の津波のためだ」と言う部分に今回事故にたいする免責性の根拠を求めようとしている。
次の一章は欠陥対策の一例で、その経緯が詳細に明かされており、まさにサクセスストーリーとして誇らしい(だから情報が入手できた)書きようである。
(以下略)


人体で濃縮・蓄積される人工放射能 この項、記述途中

聞やTVで各地方の放射線量を報じているが、基準がまちまち。一般市民が浴びても支障ない値はどんなものなのだろう。ところがその数値に担保している学問的根拠が明かされない。何事かが必要に応じて開示されてなどないのである。

分かりやすいのは、浴びても許容される放射線量。しかし、ほとんど学問的な根拠など無いのだ

例ー1

福島県産肉牛がセシウム汚染の稲藁を与えられたために、市場に出回った牛肉でも基準値オーバーの汚染が発見され、7月になって事態掌握が完全な後手であったことが見えてきたことで、ちょっとしたパニックになっている。過日の水道水汚染(このときは主に放射性ヨウ素のほうで問題化)で精神面が大分鍛えられたためなのか、今回の方が冷静ではある。マスコミが伝える専門家の意見は常ながら「この程度の放射能であれば少量の摂取が人体に影響を及ぼすことは考えられない」というもの。水、野菜、牛乳、魚、土埃など日常的に微量の放射能被曝を受けるような事態に立ち至っている。特に体内被曝の実態が地域でも個人でもバラバラなので、放射能の影響については学者ごとの主観的、政治的好みによる解説が続けられることであろう。ある農家が手放した牛の肉が国の基準値500ベクレル/kg以内であるところを5倍2500ベクレル/kgであれば制限時速50km/hの公道をレース場並250km/hで暴走するに等しい。学者は「この放射線量は深刻だ」とまず断ったうえであれこれ追加のコメントをなすべきであろう。そのほうがボクはきちんと話を聞こうと言う気持ちになれる。本当は100ベクレルでも異常事態なのである。ボクも牛肉はめったに食べないからそんなに怖くはないが、サカナ好きなので「今度の冬のアンコウは絶対に食べられないだろうなあ」と、今から悲観的である。くどいがボクもみんなももはやさまざまなものから被曝を受けてしまい、今後も受け続けるのである。すべて輸入のミネラル水と米とサカナと肉と卵と野菜だけに切り替えたりは出来ないだろう。果物のサクランボも買い手が減って市価は暴落してしまった。

追記(2012.2.28)

@ NHKで「低線量被曝」の特番をやっていた。安全(危険)基準値を作った機関が紹介され、驚くべき証言が出てくる。しかしすでに、知る人ぞ知る話しでもあった。上記内橋氏の本では既述済みのことなので、「やっぱりな」という思いでその番組は見た。

A 海の放射能汚染が現実に起こったが、「事故が起こったらかえって儲かった」という話が出てくる。(これは敦賀市長が他県にやってきての「オオボラ話し」のことですが、日本中の原発立地事情を象徴的にあぶり出しています。)
この@A項とも、記述途中ですが、一旦終了し、近いうちに新項目を起こします。このページはボリュームがありすぎるので、ここまでで一旦終了します。2012/02/28


  追記 2012.4.03.

千島海溝のイラスト(下図=同誌95p)を見ていると、大きな震源空白域の存在があきらかである。
図中、南北両端はM9クラスの地震が存在していた事実をも示す。

2011.3.11.の経験を単なる貴重体験に終わらせないための、保存テキストとして残し置きたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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