原発は児孫への良き贈り物なのか?

2011.6.21〜2012.1.19 記述終了                                       ← 目次に戻ります

    原発推進は「児孫じそんに美田を残そう」のに由来しているのではなかろうか。
    逆に西郷隆盛は「児孫のために美田を買わず」と書き残した。

「近々石油も石炭も枯渇するだろう、我々の代でさえ持たないかもしれない。人口増加もとめどなく、低開発国のエネルギー需要は今後底なし」
そういう恐怖心が蔓延する昨今である。資源蕩尽の暮らしをしていれば、神話「ノアの箱船」の寓意に無関心を押し通しきれないものである。児孫にオリーブの茂る大地を残してやれるのだろうか。
他方において、児孫どころか、自分の欲でいろいろなものを欲しがる人たちが増幅しやすい時代でもある。禅の実践など本当にやってみたところで「反動思想で着飾った格好付け」に成り下がってしまう時代なのである。「児孫に美田を残そう」は(西郷ほどには偉くない庶民の)親心だが、原発はもうひとつ「いまの俺様のここちよい暮らし方」の利権の象徴でもある。
電力会社に都合よければ、@大学教授に億円単位の講座寄付をしてやり、A企業献金がまずければ企業一丸、管理職一同申し合わせ個人献金を差配し、Bどんな不況であろうが税金投入の公共事業として様々な仕事が発注され、C監督・認可の政府機関の高級官吏が老後の世話までしてもらえ、、、枚挙十指に余る。

そういう筋道でみると、今(2011年5月から7月あたり=拙文入力時点)の首相・菅直人はじゃまである。ただし世論調査において彼に代わる人材はだあれもいない。あんなに威張ってみせる自民党総裁の谷垣も人気順位が5位から外れる始末(6月のNHK調査)。しかしながら、首相・菅直人はすでに屋根に上がって梯子が外され、そこから下に向かってどなっても、梯子をかけ直し登ってきてくれる盟友がいない。

この間に週刊誌は数誌色々読み比べた。朝日、毎日、現代、ポスト、AERA、ほか若干、すべて週刊誌。臨時の朝日ジャーナルも。ただし当方のサイフの都合で毎号全てではない。ポストが「放射能なんか怖くないんだ」と「冷静」を装う原発擁護派からいよいよ脱落かと思えばそうでもない。週刊朝日が朝日新聞同様にどっちに転んでも深傷ふかでを負わない気配りでつまらない。週間新潮は資本の提灯持ちが書くゴシップで、読まなくても分かるから買わない。

週刊誌以外に簡単な本を何冊か読んだ。すべて就眠前、寝床の読書で、開くや寝てしまったり、非効率このうえなかったが、自分の読書記録として簡便な記述で残し置きたい。

まずは、「偽善エネルギー」の著者武田邦彦リンク 当サイト「M9は想定外か?」にて先述が、今回の原発事故で、日本の原子力平和利用の偽善ぶりに「目からウロコ」の境地に至ったことがよくわかる当人のブログから。そもそも「偽善エネルギー」は原子力の次世代へ向けての優位性(逆に各種自然エネルギー喧伝の偽善性)を述べることを目的に書かれた一冊であったわけだが、3.11を境に今昔の感あり。このブログ一本においても、事故発生以来、官民合体の強引な節電要請がいかに国民を衆愚視したものであるかを明瞭に整理し述べている。当初よりこの指摘をなす者は少なからずいたが、彼のブログはヒット数においてダントツで、世論に対する一定の影響力がある、と思われる。

 「節電」は本当に必要なのか?(1)  電気代はなぜ高い?

(平成23629日 午前10時  武田邦彦

この夏は電気が足りないと言う。
でも、どうもうさんくさい.一説では
「原発を再開したいから、電気が足りないと脅しているだけだ。寝苦しい夜を過ごさせて原発賛成にするためのあくどい宣伝だ」とも言われる.
東京電力は日本の代表的な企業だから、本当はこんなことを言われるようなダメ企業では困るのだが、なにしろ「東電はウソを言う企業だというのが、原発事故以来常識になっているので仕方が無い。
そして、福島原発事故の直後、東京電力が「計画停電」というのをやり、大きな影響がでた。
電気機器をつかって患者さんの命を守っている病院や、1度とめたら製品がダメになってしまう工場などはビリビリしていたものだ。
・・・・・・
明らかにおかしい。
東京電力がもっている発電の能力は、6300万キロワット。
これに対して計画停電が実施された3月14日の電力消費量は、たった2800キロワットだった???
それで「足りない」??? ???
・・・・・・
「原発事故で電気が足りなくなるので、計画停電をする。国民は協力しろ」
と東電が言った日の設備稼働率は、実に44%!!
さすが東電だ。これまで、営業成績が悪くなると、電気料金を上げれば良いという気楽な商売をしてきた。事実、日本の電気料金はほぼ世界一、アメリカの3倍とされる.
それでもお客さんから文句は来ない。もし文句を言えば「じゃ、電気を売らない」と言えば、それで良い。「やらせ番組を放送しているから、受信料を払わない」と言う視聴者を不払いで裁判に訴えるというNHKと同じ体質だ。
・・・・・・(中略)
稼働率が低い理由は、真夏の昼間に多くの人が「エアコン」を使う.かつてはこれに「高校野球」が加わってテレビを見るので、さらに電気が必要になる.
だから、半分しか使わない春の稼働率が44%になるのは仕方が無いというのが「東電の言い分」である。
もちろん、東電の言い分がウソだ。ウソをつく人というのは、
「原子炉が壊れているか?」ということだけウソをつくのではない.
「原発事故が起こったから、電気が足りない」というのも、
「日本は質の良い電気を供給しているから、電気代が高くなる」というのも、全部、ウソなのである。
電気の蓄積方式(集中蓄積、分散蓄積)、発電方式(設備費と燃料費の関係)、電気機器会社とタイアップした電気の平準化システムなど、設備の稼働率を上げるためには、やることは山ほどあるけれど、このような「面倒な事」より「たっぷりと発電所を作って、時々、動かしたらよい」という方が楽だ。
・・・・・・
稼働率が下がり、経費が嵩むようになれば、電気代を上げればよい。簡単で誰にも文句を言われない。
それに対して、電気が足りなくなると、文句を言われる.
だから、発電所をたっぷり作って悠々と生活した方が良いと思うのはお公家さんの東電の経営者としては当然だからである.
(中略)

でも、もし東電に競争相手が居たら、設備の稼働率はたちまち80%になり、電気代は半分になるだろう。その点では技術も大切だが、安全を守り、電気代を安くするには、「電気を供給する社会的なシステムに競争原理を入れる」ことも重要であることが判る。

「節電」は本当に必要なの?(2) 本当は津波ではなかった!
(平成23629日 午後1時 執筆 武田邦彦


先回、電気代がなぜ高いかを設備稼働率ということで整理をしてみた。
原発事故が起こった後の3月14日、東電の設備は6300万キロワットもあるのに、東電管内の国民が使った電気は、わずか2800万キロワットだった。それでも東電は「計画停電」をすると言い張っていた。
その理由は「原発が事故を起こしたから」ということで、多くの国民は「仕方が無い」と思った。・・・(中略)
福島第一原発の発電量は全部で470万キロワットだが、事故当時、4号機から6号機までは定期点検中で、もともと動いていなかったから、3月14日に東電が「実質的に事故でやられた原発の発電量」はわずか200万キロワットだったのだ!
(中略)ジャブジャブ余っているのに「計画停電」をした。国民は大変な迷惑を被ったが、政府(経産省)も、マスコミもこのトリックはほとんど言わなかった。・・・どこにトリックがあったのだろうか? 実は「福島原発が想定外の津波で壊れたから停電」ではなく、
1)東電は原発だけではなく、火力発電の耐震性もサボっていた、
2)設備をいつも休ませていた。
の2つが主な原因だった.

繰り返して言いたいのだが、3月の計画停電は「地震で福島第一が事故を起こしたから電気が足りなくなった」のではなく、「地震や危機に対する東電のあまい体質がもたらしたもの」だった。

実際に東電はどんな状態に陥ったのだろうか?(単位は万キロワット)
総発電能力               6266
福島第一で動いていてダメになった量    
203
福島第一で休んでいた量           78
津波でやられなかった福島第一       188

津波でやられなかった福島第二       440
地震でやられた火力発電所の量       680
(止まった総量)            1588
(津波に関係なく止まった量)      1308
地震後の総発電量            4678
3月14日の消費量           2800


・・・これでもまだとんでもなく余っていた(約2倍)。
「計画停電」を大々的に発表したが、現実には(ほとんど)実施しなかった。それは、詳しく調べると現実には電気はあったということになるからだ。でも、こうして内容を見ると、ずいぶん印象と違う.
東電は「津波でやられた。想定外だった」と言っているが、実は津波で破壊したのは、6266キロワットのわずか3%、203キロワットに過ぎない.
今回の震災はマグニチュード9という大地震だったが、福島原発は震度6である。震度6で原発も火力発電もやられて、電気が来なくなるということになると、東電は「何やっているのだ。地震の備えが出来ていないじゃないか!」と言われるので、福島第一の1から4号機が津波に襲われたことを全面に出して釈明した。(中略)
本当のところは、大震災で停止した発電量1588キロワットの内、実に82%の1308キロワットが「地震」だけで壊れたのだった。
それも震度6以下である。つまり、
1)
現実には3月14日の計画停電は必要がなかった(設備能力は2倍あった)、
2)
普段から稼働率が低い運転をしていたので、そのツケがまわった、
3)
計画停電の理由として東電が言った「津波」の影響はわずか3%だから、これはウソで,「普通の規模の地震」で、多くの原発、火力発電が壊れたからだった、
というわけだ。でも、自分たちのミスは「大人しい国民」と「自分たちをかばってくれる政府とマスコミ」に押しつけるという、いわば小児病の会社、それが東電のようだ。
・・・・・・
今、滑稽なことが全国で始まっている.これから来る夏、電気が足りないから「節電」をしなければならないと言われている.それも東京ばかりではなく、名古屋でも大阪でも、また全国のほとんどのところで冷房温度を上げたりして、「省エネ」に努めている。
いったい、どうしたことだろうか? 本当に電気は足りないのだろうか?
東電の福島原発と中部電力の浜岡原発は止めたけれど、それだけでなんで日本中で「節電」が必要なのだろうか?また私たちは騙されて、暑い夏を過ごそうとしている。もう、日本の誠意はどこに行ったのだろうか?

(当HPにおいては文中、中略・後略・空白行の割愛、がある。)

 
 
 
「原発をつくった私が、原発に反対する理由」
菊池洋一 角川書店 2011.7.10発行 ¥1470
* 著者 *
東海第2原発、福島第1原発6号機のGE社企画工程管理者。
装置としての原発がいかなる態のものなのか、特に「3,11事故ではどこがどう破壊された、と見るべきなのか」が、作った側(現場工事の責任者)の目で平易に描かれている。
どんな経緯からGEの信頼を得て工程管理者になったか、ということもおもしろく読めた。
現在は、一転、反原発運動に携わっている。

「スマートグリッドがわかる」

本橋恵一 日経文庫 2011.11.15発行 ¥830
 
志たかく明日を論じようとする姿に共感を覚える。ペンが自在でおもしろい。なるほどと気付かされること多々あり
     つまみ食いで、いくつかボク流に以下紹介。

1) 東電など電力供給会社は、時代の最先端をリードしていると見えて、料金徴収などは検針員を回らせて
「日本の送電線は世界的にもロスの少ない高性能の設備ですが、意外にも配電の最後の部分はかなりのローテクだったということです」という。
実はスマートグリッドはここできまるのである。スマートメーターの設置と新時代のエネルギー体系は表裏一体であることが説かれている。普及の程度は国によってまちまちであるが、イタリアやスウェーデンでほぼ完了、米国では州によりバラツキ、中国もかなり浸透、などと。イタリアでは多かった盗電も解消した。
 
2) 「エネルギー供給企業は主観的には「ガス」や「電気」を販売しているのですが、消費者の私たちは「ガス」や「電気」そのものがほしいわけではありません」(消費者は電気・ガスではなく、結果として得られるサービスを買っている)と書く。
「電気がないと原始時代に戻ってしまうぞ」といった類の脅しのこっけいさをさりげなくいなしている。

3) 「スマートグリッド」が賢い(スマート)送電網(グリッド)という意味であるため、単純に発電・送電分離による自由な発電事業の参入、という程度のことに思ってきたが、このサービスの導入が行われれば、裾野が広いエネルギー政策全般の手直しに雪達磨式に進む可能性がある。
近頃「エコキュート」の宣伝をTVコマーシャルで見聴きするが、これをボクは、出力調整がしにくい原発深夜電力のコンデンサーなのだと見てきた。
(石油やガスは使わない分がそのまま残るが、原発の核分裂はコントロールがうまく行かず、需要の少ない夜間も発電を継続することになり、余剰電力の活用として揚水式発電ダムによる位置エネルギーやエコキュートのような貯熱への転換が工夫されている)
他方、太陽光や風力による発電は電力供給が不安定で問題がある、とされる。ボクは原発のお馬鹿な均一発電と「おあいこ」じゃないか、と思ってきた。しかしここにスマートグリッドがはいるとエネルギー環境が一変し、「おあいこ」ではなくなっていく。本書は「熱でお湯を作る効率は最大で80%を超えるようになっています」(発電=電気経由で熱利用することのロス)
「スマートグリッドの活躍の場は原発余剰発電だけでなく、住宅用太陽光発電の大量導入にも対応できる技術なのです」という。
 
4) 3)の逆に出て、ガス会社は、太陽光発電とエネファーム(家庭用燃料電池)あるいはエコウィル(ガスエンジン発電機)を組み合わせたW発電を提案している。スマートグリッドなくしてエネルギー源の多様化はありえない。
 
5) 現状では、東電、東京ガスのような巨大エネルギー供給事業と家庭用太陽光発電のような細胞的な自家供給(余剰分の売電はあるものの)の2項対立図式がイメージしやすいが、中央集権型から分権型への移行に構想されるものははるかに可塑性のあるもののようだ。
 両者の中間形態が無数に構想されからである。団地だの村のような地域コミニュテーがユニットであったときに有用性が増すようなエネルギー共有システムが昔からあったし、現在も巨大ビルや特定範囲のビル群ですでに実用の域にあるものもある。
 
6)スマートグリッドは本来、「脱原発」を、あるいは逆の「原発推進」を政治スタンスとして擁護することから離れた自由な技術論として存在しようとしている。保守的立場(既得権益や既成の価値観)に揺さぶりをかける力をそれゆえにもっている。「潜在的核抑止力」というような原発の裏側にまつわる政治性はスマートグリッドとは別次元の問題である。
 とはいえ、著者がやや長いスタンスでエネルギー問題をどうみているかはわかる。最後に最終章[X]スマートグリッド社会の未来図 のなかから、この点に関して、2カ所だけ以下に抜粋させてもらって、この本の紹介を閉じたい。


   X・1(3) 原発がなくても電力は十分に供給可能か


  「脱原発」が可能なのかどうか。この間いに対し、2011年夏の経験は、一つの答えを出したといえるでしょう。
 東京電力管内を考えたとき、夏の最大電力需要は、例年であれば6000万kWだとみられていました。しかし、積極的な節電を行った結果、およそ1000万kWものピークカットを実現しています。これにより、東電の原発17基のうち2基しか運転していないにもかかわらず、電力に余剰が生じ、より需給がひっ迫した東北電力などに電力融通を行っています。
 もちろん、東電が十分な供給力を確保した背景には、震災で被害を受けた火力発電所の早急な復旧、長期間運転していなかった(長期計画停止)火力発電の運転再開、そしてガスタービン発電所の設置など、大変な努力がありました。
 今後、ガスタービン発電所は順次、コンバインドサイクル発電所としてより供給力が高い設備となっていくでしょう。また、節電をきっかけとして、多くの事業所では電力消費の削減が定着すると思います。
 こうした節電をさらに加速させるのがスマートグリッド技術です。実は、震災前の電気事業においては、電力会社も政府もともに、需要に応じて安定して電力を供給するということを目標にしてきたために、需要側での取り組みが遅れたということが指摘されています。ということは、電力消費を減らす、あるいはピークカットするポテンシャルはまだまだあると考えられます。(後略)
X・2 消費者がエネルギーの生産者になる時代

 スマートグリッド社会において、大きな変化の一つは、消費者自身がエネルギーの生産者になるということです。すでに、住宅用太陽光発電は、かつての余剰電力購入メニュー、そして現在の固定価格買取制度によって、余った電力を電力会社が購入しています。この先、太陽光発電がさらに拡大し、あるいは燃料電池や蓄電池、電気自動車などの電力が規制媛和によって世帯を超えて効率的に使われるとしたら、電力会社の役割は、電気を送り届けることではなく、いろいろなところで発電した電気を必要なところに届けるというものになつていくかもしれません。何より、インターネットと同じく、エネルギーも双方向性を持つようになります。
 こうした、電気を供給する消費者を、エネルギーコンサルタントの山家公雄氏は(プロデューサー+コンシューマー)として「プロシューマー」とよんでいます。
 しかし、プロシューマーでは、発電設備や蓄電設備を所有しない限り、そうした立場になれません。これに対し、第W章で紹介したスマートプロジェクト代表の加藤敏春氏は、節電によって電力に余裕をつくるということの価値を積極的に見いだし、「節電発電所」ということを提案しています。そして、消費者自身がエネルギーの主役になつていくことに対し、ユーチューブにならって「ユーエネルギー」という言い方をしています。
 将来、スマートグリッドが物理的な働きをするインターネットになっていくとするならば、消費者自身がこうした形でエネルギーの主人公になっていくことは、当然の流れだといえるでしょう。(後略)

 
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