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MochiのLogcabin
本 棚 3 サハリン島 二題
チェーホフ「サハリン島」 と
李恢成「サハリンへの旅」(執筆休止中)
自分の読書の順では李恢成「サハリンへの旅」の方が早い。 (手元の本が講談社文芸文庫版1998年、第4刷で、読んでから十数年にもなるだろうか) が、最近、と言っても三年近く前にチェーホフ「サハリン島」を読むことで、再びその「サハリンへの旅」のことが思い返されるに至った。 何事かを論じる、というのではない。気ままな読書の軌跡を残すのも一興、と思い立ち、気取って言えば小島信夫のように起承転結を捨てて、読書した日々をBlogを逆順に収録し直して 追ってみたいと思う。 なお、チェーホフ「サハリン島」に関する箇所は紺色文字 に変えてある。 |
2010.10.13
チェーホフの「サハリン」 晴耕雨読方面、ホウレンソウ(西洋種)が順調に発芽。エンドウマメもポットで順調に発芽。食用菜花をもう蒔きたいが怠慢。
2010.10.29 夕べは読めず、三浦哲郎
↓ HTML記述に成功した2冊目
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チェーホフ「シベリアの旅・サハリン島」 その感想に代えて 結局全部読み終え、印象を短歌に綴って残したので、それをここに貼ることで始末を着けようと思う。
夏来れば 道なき原野に轍つけ シベリア拓きし果てに着く島 シベリアに 枷を付けられ途切れなく進む列あり 戻る列なし サハリンへとチェーホフ訪う「世紀末」 徒手で私人の入るは危うし 足枷の無き者おりしも 逃散のけしてかなわぬ最果てサハリン 足枷の囚人木を伐り道ひらき ラーゲリ次々島に建てゆく 千人の獄舎に二倍三倍を送り込めるを「開拓」とせる 荘園の領主さながら 役人が農奴に囲うは刑あけし者 チェーホフ見し 巨大な牛蒡そは何ぞ 「傘にも使う」は蕗にあらずや 八月の寒気に馬鈴薯全滅の後の年越し 耐ええぬ年あり 食料の自給とどかぬ最果てに 牛も死にゆく青き毒花 人を試す神に負けぬと 神試すサタンもおりたり 霧覆う島
シベリア式有畜ゆうちく農業試行せば 牛馬とともに囚人がおり 民間の請負企業の炭坑に枷曳く囚人 みな無賃なり 冤罪の息子哀れと母付き来たる 故郷に夫と子捨て来しと言う 肉切れし笞刑の痕の 手に首に見えたる男の ちぐはぐばなし 徒刑囚にその妻添い来て 飢えたれば身を売り生きて 今日を生きたり 地獄では人の命に値なし 梅毒蔓延したるを生きる 囚人は脱走しやまず 絶望の心にともす灯ひひとつありしに 希なるも刑期をすませ若ければ 島出でゆかぬ者なかりたり サハリン島は南ほどよし 東よりは西側がよし 夏のジャガイモ 囚人を入れて拓ひらきし島なれど 南部捨つる日遠からずあり
娯楽劇ボードビル得意に紡ぎしチェーホフが ペンの力で網掛けし島 日本につぽんが千島を選りて捨てし島 露国万余の棄民を送る なにゆえに先住民消えし村の跡 かしこに残るや 問えばわけあり 北海道は和人がアイヌを圧おし払い アイヌ逃げ来てギリヤーク圧す サハリンの先住民あまた死にしこと 入り来し病の猖獗ありしと 囚人に子供が生まれ慈しみ ただし食無く育つに難し 運ありて刑を若きに終ええしは勇み島去り 余人死を待つ 医師にして小説家ひとりの長き旅 熾火おきび掘るごと希望を問わん 帝政の1890年はかくありし 革命成りなおラーゲリ残る 時移りガス田豊かなサハリンへ 稚内より定期船ゆく チェーホフの対面調査カード幾千 今もありしと 千年残れ 2017年1月 再校正 |
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