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後編に直行します

若山牧水の暮坂峠道 前編  2011.7.27.-28.現地

今回2011年のこの旅は少し牧水を意識しながらの再訪であった

2009年の旅は旧版・アルバムページ(Z 野反湖、、、道中篇)に収録あり → 

天気予報は感心できず、本州のあちらこちらで集中豪雨や洪水が報じられていたが、
群馬県はさほどでもなさそうなので出かけることにした。

朝5時に家を出て、渋川IC・中之条町経由、まずは暮坂峠まで登った。
8時25分に峠に到着すると、今回は霧も湧いておらず、上掲の写真のようにすっきり牧水の詩碑を見ることができた。
でも欲をいうとキリがなくて、情趣はキリの出ていた前の方がよかった。
県道を挟み向かい合う「牧水茶屋」が、テラス付きでしゃれたガラス張りのものに改築されていたが、帰路、夕方前にまた立ち寄るも、店を開けていなかった。
たまの車もみんなす通り、夏場は観光地としてハイシーズンではないのか?
牧水は、もはや観光資源としての意義を有さず、ということなのか?
野反湖では何台もの観光バスが集結しているのを見たのだが。


山の天気は分からないから、もしも野反湖で天気がよければ湖水を見下ろせる八間山
(1935m)
に登ろう、そう心積もりして、牧水は後回しにして先を急いだ。
湖岸の標高がすでに高く(1500m、楽ちんハイキングが楽しめるのである。

暮坂峠は中之条町と草津温泉を結ぶ中程にある

左は六合村くにむら荷付場集落

牧水の「みなかみ紀行」は道中山間小集落の多数点在する様を書き留め、なかんずく小さな学校に学ぶ子供たちと「地の塩」のような教師の姿に目を向けている。

 

 

野反湖の湖岸の道を通り、県道突き当たりにある広い駐車場まで来た。朝・昼・夕と日に3本、ミニバスの便があるようだ。一般車は隅っこのほうに4台しか駐まっていなかった。

晴れたり曇ったり、にわか雨もありそうな、山歩きに向かない天気であったが、それでもハイカーを何組か見かけた。また昼になって、中学校の林間教室と思われるバス3台の集団を見かけた。

 

 

 

 

ヨツバヒヨドリは夏の終わり頃林道際などにギッシリ繁って咲く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

野反峠上のガレ場に咲くコマクサは地元中学の生徒たちが植栽してくれたものであった。ニッコウキスゲは咲き残りを見る程度。野反峠のベンチでゆっくり眺めを楽しみ、弁当を食べ、暮坂峠へと踵を返した。


 では、路傍に点在する牧水歌碑を辿りつつ、最初の暮坂峠に引き返すことにしよう。

野反湖からしばらく戻り、街道脇にすこし引っこむ花敷温泉を覗いてみた。

バスが入ってきてUターンできるよう、小さな広場になっている。郵便局と食品類を商う店の二軒があるのみ。長期滞在の湯治客向けに食品(雑貨も?)を用意したのであろうが、店はのぞかなかった。
ここに人影は皆無だったが、もっと奥の尻焼温泉まで進むと公共駐車場に3人。「今日は増水してるから河床から湧く温泉は水没していて使えないよ」と教えてくれた。

牧水の場合は、草津での歌会が終わると、歌友一人を供にして、そこから六合村の谷に下り暮坂峠へと登り返す。そのとき、この地に「花敷」という典雅な名前の温泉があると、かつて聞いていたことを思い出した。
そこで、先を歩く友を追いかけて呼び返し、急遽ここに一泊を追加したのであった。
その夜はグンと冷えこみ翌朝起きて初雪を見た。少し高い山々が白く輝く光景が印象深かった。
「みなかみ紀行」のこの前後の記述は、他の名場面と併せて情緒深く秀逸である。
翌日は、峠を越えた向こう側にある四万温泉までせっかく足を伸ばしたものの、さんざんな目に遭った。名門旅館が客種を値踏みする待遇に腹立ち隠せないありさまと一対の場面として構成されており、行間にユーモア感が漂う。

写真右手が尻焼温泉のある長笹川(白砂川の支流)で、川を背に新旧歌碑が2つある。

2面とも70cm/h×120cm/w程度

 

 

 

 

 

 


左面 : 樫鳥かしどりが踏みこぼす紅葉くれなゐに透きてぞ散りわが見てあれば  樫鳥=カケス                                       
右面 : ひと夜寝てわが立ち出づる山かげいで湯の山に雪降りにけり 。
  下線箇所、碑面では山陰湯泉 添え書きは、大正11年10月19日 / 開晴館に泊る
  
2首とも「みなかみ紀行」所収。開晴館は花敷温泉の一番奥にある。またその先の川床に温泉が沸く(尻焼温泉)


 

 

 

このような木製板のものも混在。
感じは悪くないが、じきに風雨で痛んで、読めなくなってしまいそう。

 

2首とも歌集「山桜の歌」中であろうが、末尾の岩波文庫版では右側の一首のみ所収。

             左:わが急ぐ山より見ればむかつ山夕日にもゆるもみぢなりけり

             右:しめりたる落葉がうへにわが落とす煙草の灰は散りてましろき

 
              碑面全文

           みなかみ紀行「枯野の旅」より

         散れる葉のもみじの色はまだ褪せず

         埋めてぞをるりんどうの花を

                        若山牧水

                平成八年十月吉日
               伊勢崎市星野石材店建之贈 
                      市川昭次郎 書

 


 

 

 

 

 

 

 

上左 牧水清水というところに来た。石碑は1m以上高さのある黒御影石で出来ており、寄進者は上記に同じ。樋から水が湧き、コップもあった。
上右 どういうわけか水が供えてあり、墓石を連想しての行為であろう。ガラスが貼ってある二つの輪の中は牧水の写真で、左側は見やすいが、右側はここになければ誰の姿なのか分からない。

碑の文章は「みなかみ紀行」中の抜粋2カ所で、碑文のように連結するものではない。前半が本文で、以下文中(  )内は碑文に欠落の部分。後半は2ページばかり後に載る短歌連作4首中の3首目のもの。
生須村なますむらを過ぎると路は(また)単調な雑木林の中に入った。(中略) 今度はとろりとろりと僅かな傾斜を登ってゆくのである。(中略) 路に堆うずたかい落葉はからからにかわいている。


 渓川の真白川原にわれ等ゐてうちたたへたり山の紅葉を
                                            若山牧水
                                
平成5年正月 吉川昭次郎トヨ 書之建

 

 

 

 

 

 

 

(右上、後方に目立たない) 上手に隣り合ってもう一つの歌碑と旧道への案内板がある。旧道は上部中央の真暗い中に進む。夏場には蜘蛛の巣、毒虫、マムシなどが予想され、刈払いも不確かで踏み込みにくい。寒い季節以外に歩く物好きがいるだろうか。

碑面2首の2番目は前記の歌と同じ。前の歌は同じ連作4首中最初のもの。

枯れし葉とおもふもみぢのふくみたるこの紅ゐくれないをなんと申さむ        牧水


この旧道が再び県道に出る場所にも「牧水コース入口」の標柱(歌碑右側の柱)。

また、歌碑手前の短い石柱は「右澤渡温泉 左草津温泉」と刻む。

 

 

 


「みなかみ紀行」中10月19日、予定変更して花敷温泉に向かう場面に挿入6首中最初の2首。

 碑面

夕日さす枯野が原のひとつ路わが急ぐ路に散れる栗の実

音さやぐ落葉が下に散りてをるこの栗の実の色のよろしさ

     中澤勝磨書 

碑面が洗われており、拓本を採る人がかなりいるようだ。
上記文字づかいは碑面でなくテキスト(岩波文庫)に合わせた。

 

沢を挟む峠側にも新しい歌碑がある。

 

 

 

 

 

 


                笹原の笹の葉かげに咲き出でて色あはつけきりんだうの花   牧水

いよいよ峠に近付いたあたりの左カーブという車の止めにくいところにある歌碑 下


碑面

      みなかみ紀行 「枯野の旅」より

    さびしさよ落葉がくれに咲きてをる
     深山りんだうの濃むらさきの花

                     若山牧水

 平成八年十月吉日 伊勢崎市星野石材店建之贈
  市川昭次郎書

これで怪しげな蒸し暑い天気の中を暮坂峠にもどったが、六合村はここまで。
歌碑は以上紹介したものの他にもあったが、時間に余裕のない一泊旅行のため
全部に車を駐めて写真を撮ったりの挨拶はしなかった。
峠にもちょこっと停車しただけで下った。


峠を越えて中之条町側に入ると、このような石碑を全く見ない。
先述のごとく、四万温泉の某しにせ旅館が牧水の機嫌をすっかり損ね、
「みなかみ紀行」のなかで実名を出してこきおろされているので、
牧水の顕彰がやりにくいのかな、と、これはボクの邪推なれど、、、。








岩波文庫の2冊とも、若山牧水全集から抜粋し編集当ページに関係ある「山桜の歌」での収録数は4分の1程度(186/741)。

 

 







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  2009年の旅は アルバムページ(Z 野反湖、、、道中篇)に収録あり 

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